文歌
作詞者は、京都府加佐郡河守の貧しい農家に生まれた真下瀧吉(飛泉)1878~1926。 三善和気の作曲。
1905年(明治38年)、日露戦争末期か直後に作られ、 連綿と太平洋戦争まで受け継がれている。いのちの尊厳を歌った叙事唱歌として巷でも大ヒット、一世を風靡した。
友の死を悼む哀切に満ちた旋律が心に染み入る。
ここはお国を何百里 離れて遠き満洲の
赤い夕日に照らされて 友は野末の石の下
それより後は一本の 煙草も二人わけてのみ
肩を抱いては口ぐせに どうせ命はないものよ
死んだら骨を頼むぞと 言いかわしたる二人
思いもよらず我一人 不思議に命ながらえて
赤い夕日の満洲に 友の塚穴掘ろうとは
あとに心は残れども 残しちゃならぬこの体
空しく冷えて魂(は・・・
くまなく晴れた月今宵 心しみじみ筆とって
親御へ送るこの手紙 行燈のかげで親達の
読まるる心おもいやり 思わずおとす一雫
至福の時間 思い出歌
平成最後の夏のこと
貧しさもつらくない 四畳半にも夢がある
嘘をつかない約束で 肌を寄せあう二人なら
死にましょうか 生きましょうか
生きましょう 生きましょう
互いに巡り会えただけ この世の神に感謝して
雨にうたれる無情花
震える愛が 震える愛がまだあった
飢えた日を忘れない
そんな時代の子であれば 心だけでも満たしたい
死にましょうか 生きましょうか
生きましょう 生きましょう
笑える事がある限り 値うちがあると信じつつ
平成最後の夏のこと
時に晴れ間が広がって
眩しい恋が 眩しい恋がまだあった
輝く夢が 輝く夢がまだあった